今週の行ってきました Vol.163
能登半島地震の被災地へ行ってきました。
目的は二つあって、ひとつは現地での災害ボランティア活動で自分が被災地で何かできること。
もうひとつは、能登での災害ボランティア活動がどんな様子でされているかを自分の目で見て、
自分の住んでいる町で行っている災害ボランティアに関する活動に役立てること。
4/3 仕事を終わって11時30分ごろに家に帰って昼食を食べてから、30分ほどでバタバタと荷造り。
インターネットなどで現地の様子や道路の状況を調べて14時30分ごろ家を車で出発しました。
能登半島地震は3月25日の朝に発生したので、9日目ということになります。
今回は2年半前に行った新潟県中越地震のような震災発生直後ではないので、
現地のボランティア受け入れなどももう出来上がっていて、
前日に石川県の災害ボランティアセンターに電話して、そこがやっているボランティアバスに乗せてもらうことにしました。
(ボランティアバスってどんなのか乗ってみたかったし、そうしたほうが被災現地の災害ボランティアセンターが受け入れ時に混乱せずに準備しやすいから)
途中、眠気で1時間ほど高速道路のパーキングで寝ましたが、
ボランティアバスの乗り場には21時ごろに到着でき、
寝袋にくるまって朝までゆっくり眠れました。
翌朝、やってきたボランティアバスに乗って被災の大きい輪島市の門前町へ
バス2台には72人乗っていました。
9時ごろ着いて適当に班を作って、
各被災家庭の災害ごみや倒れたブロック塀などの瓦礫の回収や、分別、
ゴミ収集車への積み込みなどを夕方まで行いました。
(雨や雪の中の作業で結構寒かった〜)
作業では、新潟県中越震災のときにであった、
和歌山県の民間組織「梅の郷救助隊」のメンバーとも再び会いました。
町は揺れ方が違ったのか、阪神淡路や中越地震とは違って、
電柱などはぜんぜん傾いたりしてなく、停電が少なかった理由がわかりました。
ただ家の損壊については、ペシャンコになっているような家がある地域はとても狭い地域で、
門前町の中心部(早足で歩くと5分くらいで通りすぎてしまうくらいの広さ)と、中心部から1Kmほど離れた、
そこと同じくらいの広さの海沿いの集落が2箇所のようでした。
建物は、木造瓦葺の家がほとんどですが、
それらの地域では、完全にペシャンコになっている家や、一目でゆがんでいるとわかる家が大半でした。
そしてその周りに大きく広い範囲で、瓦がずれたりしている被災地が広がっています。
発生からもう9日も経っているせいか、
被災地にしてはとっても落ち着いているように感じ、
また仮設住宅建設のための造成も始まっていました。
写真は被災された方のことを考えて撮っていません。あしからず
現地で知り合った石川県出身のボランティアの人に教えてもらって、
帰りは砂浜の「なぎさドライブウェー」を、
夕闇の中、気持ち良くドライブしてから夜の高速を帰りました。
翌日5日、さらに続く支援を考えて、仮設住宅火災の資料などを被災地に送りました。
最後に、現地の寒い中で大阪のボランティアが炊き出ししてくれていた、
あったかいラーメンはうまかった〜!